私とローズ・トゥ・ロードと幽霊のような覚え書き

 一筆、駄文を寄稿申し上げます。いつもローズを有り難うございます。
 今や私のローズ・トゥ・ロードおよびユルセルーム世界に関する覚え書きは膨大になり、もはや、まとめるのが不可能ではないかとさえ思えます。もとより、動き続けるかりそめの大地<ルセルームの話は、いつも「続き」であって終わることはないのでしょうが、それでも余りに宙ぶらりんで、曖昧模糊とした話は、もう少し見えるようになって欲しいと焦ることもあります。
 たとえば先の作品あとがきで触れたように、ファラノウム建立前、中古の黎明期における「十六風季」、新古の黎明期の「アムンマルバンダ」に関する記述がそうです。早くしっかりしなくては、と考えていました。
 とりあえず、これらについて未公開だった覚え書きを、以下に集めてみます。


 十六風季…ユルセルームにおいて、スィーラの神々とかりそめの大地≠ニのつながりの証しとしてザリ神が吹かす風のこと。また、その風が吹くことで表現される十六の季節。この風を見極め判断する者をかざよみ≠ニいい、毎年、特定の風がいつ吹いたかをみて天候、穀物の実り、疫病、虫害、天変地異などを占った。


 奇妙な日「うろつき日」…暦の中で、おかしなうろつき方であらわれる特徴的な日。背後に不思議な謂われがあるというが…一説にアムンマルバンダの名残ともいう。


 ユルセルームの四方十六位に新たな彩りを加え、歌と踊りと彷徨と謎が融合したアムンマルバンダとは何か? まず何があったのかを古文献でみる。
『新古の黎明期、まだ妖精や人間が、混沌の力渦巻く大陸中部以西、エグ=ラムドスルミスルの西方へ足を踏み入れることのかなわなかった時代、アムンマルバンドットと呼ばれる者たちが何隊にも分かれて大陸東岸に上陸し、各地をさまよい始めた。彼らは一隊あたり四人から十数人の集団で、(観客の有無に関わらず)楽器を奏で、香を焚いて踊り、不思議な謎かけ詩を歌い、また謡いして彷徨し、黙して移動することがなかった。彼らは北と思えば南、東と思えば西と、ふらふらと定まらぬ道行きでその旅を続け、人間や妖精のいる行く先々で新たな華やかさ≠もたらし、遂にはエグ=ラムドスルミスルを越えると西方の地へ消えていった。しかし彼らの消えた後も、各地で咲いた花の麗しきを伝え、与え、交換する者達があらわれた』


 以上ですが、十六風季については、とりあえずこれで最低限の理解は得られると思います。さて、問題はアムンマルバンダですが、あくまで推論の域を出ませんけれど、彼らはユルセルームに祭りと、そこから派生する芸能、芸術をもたらした遊行する小神(フェルダノン)のような存在ではなかったかということです。で、その後「祭りや芸能、芸術を交易する特殊な流浪民」が現れ、これら一切合切の現象を含めてアムンマルバンダと呼ぶのではないかと。
 でも、まだ何かが引っかかります。彼らの奇妙な移動方法は、まだ落ち着いてないかりそめの大地♀e地の混沌から魔法のもとである隠れたる力≠「据え」、荒々しいままの大地をスィーラの発声のもとに「縛って」、名を顕わにし、そこの森羅万象と隠れたる力≠フ間に秘められた関係を「結び」、妖精の霊感や人間の意志が原初の言葉を媒介として世界と影響しあって、世界を秩序の内に、より鎮めていったのではないか、と。アム≠ニはアムウ≠ェ「内海」を表すように「囲われた」とか「保護された」、「鎮まった」を意味する語幹なのも関係するかもしれません。おそらく「謎かけ詩を歌いながら」とか「定まらぬ道行き」などという点が重要で、「謎かけ詩を歌う」のはその大地の内在する混沌を言語化することで鎮め、ふらふらと不規則な旅の道筋も大地に記す一つの大きな舞踏の軌跡、魔法を顕現させる刻印なのかもしれません。
 さて紙幅も尽きました。たらたらと推敲もせずに書き殴っただけですので、きっとひどい文章でしょうが御容赦ください。特にまだ言葉になりきらないアムンマルバンダの説明は説明になってないと思います。しかし、不思議とその考察を語り始めると際限がありません。私にとって、ユルセルームで発見される不思議は考察してもすぐに尽きることなく新たな不思議を生み出す、そんなありようが、実はユルセルーム最大の不思議なのかもしれないと、とりとめもなく感じつつ、筆をおきます。

著:門倉直人  2005年9月3日

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