私とローズ・トゥ・ロード(正統派)

ローズ・トゥ・ロードはファンタジー RPG です。
その舞台となる世界「ユルセルーム」は魔法と幻想に満ち溢れた神秘的な世界です。
しかし、今や「忘却の呪縛」が全てを覆いつつあり、
夢や希望、悲しみさえも、人々の心から失われつつあります。

ローズの舞台「ユルセルーム」では、幻想は次第に忘れられつつあります。
人々の心から夢が失われるにつれて、この世界に本来沢山いたはずの妖精族は姿を見せなくなってきました。
全てが忘れ去られてしまったとき、世界はどうなってしまうのでしょうか。
虚しさ以外の、一体何が残るというのでしょうか。

このように、ローズ・トゥ・ロードの世界は危機的な状況にあるといえます。
「厭世観」といった言葉では到底表現しきれないような、どうしようもないものが、世界を覆いつくそうとしているのです。

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さて、ここで一旦現実の世界の話をしようと思います。
今現在、「ファンタジー」という言葉を説明しようとする場合、多くの人が「剣と魔法」の世界という説明をします。
実際、私もそういう説明をすることが多いと思います。
このような説明をした場合に想定されるのは、戦士が剣を振るい、魔法使いが魔法を行使して魔物をなぎ払うような戦いの情景です。

でも、「ファンタジー」という言葉の本来の意味は、幻想、空想です。
病気の母を救うために森の奥に住む魔女に会いに行く話や、そらとぶ馬に乗って世界中を駆け巡る話は、それだけで十分ファンタジーなのです。
どうしてそこで、戦闘行為を行う必要があるのでしょうか。

勇者が勇ましく剣を振るい、魔導師が恐るべき魔法で敵を焼き尽くす戦いは、確かに幻想的なものであるといえるでしょう。
でも、そうでないファンタジーは十分に有り得るのです。
私は、初めてローズ・トゥ・ロードのシナリオ「ストレンジソング」を遊んだときの衝撃を忘れません。
その物語のクライマックスには、手に汗握る勇ましい戦いはありませんでした。
ただ、大切な友との別れ。その情景が、ただ静かに、幻想的に描かれているだけだったのです。

しかし、それは間違いなく「ファンタジー」でした。

今現在、多くのファンタジー PRG が作られていますが、その多くが「剣と魔法」による戦いを演出するためのものであり、中には、悲しいかな、世界観などの設定の全てが、戦闘に背景を与えて脚色するためのものに成り下がってしまっているものもあります。本来戦いは目的あってのものなのですが、このようなゲームにおいては手段が目的化されてしまっています。
どうしても戦ってはいけないなどとは思いません。それは手段の一つですから。
でも、所詮剣は敵を殺すための道具にすぎません。
剣で誰かを救おうとすれば、誰かを傷つけなければならない。そこにはどうしても悲しみが残ってしまいます。
下手をするとそれしか残らないかもしれません。なのに、他の解決方法をシステム的に禁止することで、よりよい解決の道を自ら閉ざしてしまっているゲームさえあります。
再びローズ・トゥ・ロードの話に戻りましょう。

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このゲームの舞台「ユルセルーム」では、夢や空想が忘れ去られようとしています。
しかし、それらを思い出すことで、悲しみと向かい合うことができるかもしれません。
他のファンタジー RPG が叙事的なものであるとすれば、ローズトゥロードは叙情的ファンタジーということができるでしょう。
今や忘れ去られようとしている、戦いの無いファンタジー。
それは、人々の喜怒哀楽を幻想の中に描き出すファンタジーです。

このイベントが、そんなファンタジーを取り戻す機会になればいいな、と願っています。

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